2009-12-24
2009-12-14
Oh! No! Yoko?
その時、しいんと静まった美術館の中に「リリリリ。リリリリ。」と電話の音が鳴り響いたのだった。え! 鑑賞中は携帯の着信音くらい切っておきぃや! とだれかもわからぬだれかに苛立ちを感じるも程なく、その音はすぐに途切れてしまった。3コールほどだったか。短かった。とにかくすぐに切れたのだ。その直後にわたしは、そばに壁に仕切られた小部屋があり、そこへ白い電話機がぽつんと置かれているのを見つける。のぞいてみると、だれもいなかった。ああ、ここは見たらいけない裏方側のスペースで、この電話はなんかのときに美術館の人が使うために置いてあるのだろう、というふうに思って通りすぎようとしたが、よく見るとなにか注意書きがある。顔を近づけて読んでみると、「この電話はニューヨークのオノヨーコさんにつながっています。たまにオノヨーコさんから電話がかかってくるので、かかってきたら出てください」というようなことが書いてあった。わたしはボーゼンと立ちつくし、一気に周りがざわざわしだして、興奮で鼻息がフンフンになった人々が押し寄せ、小さな部屋はもうフンフンにあふれかえったけれど、それからみんなで穴があくほど見つめ、いくら息を殺して待ってみても、ふたたびその電話が鳴ることはなかった。
もう何年前になるやろうか、東京都現代美術館でやっていたYESオノヨーコ展。果たしてあのとき電話のいちばん近くにいた自分が受話器を取りあげていたとして、あのヨーコさんといったいなにを話せばよかったのか、今考えてみてもわからなくてどきどきしてしまう。
もう何年前になるやろうか、東京都現代美術館でやっていたYESオノヨーコ展。果たしてあのとき電話のいちばん近くにいた自分が受話器を取りあげていたとして、あのヨーコさんといったいなにを話せばよかったのか、今考えてみてもわからなくてどきどきしてしまう。
2009-12-04
パーティーはやらない
ドリームパスタというのをご存知だろうか。夜空に星があるように、指先に指紋があるように、だれもがひとつはなんか持ってたらいいなのドリームパスタ。わたしにとってのそれは、いっしょに住んでたイタリア人の女の子がよく作っていたやつ。麺がもっちりとしていて、ちょっとべっとりしている。オイルが多めなのかな。麺の形状は、なんというのかわからないが、わずかに丸みを帯びていて、かつ若干ひらべったい。たとえるなら、くるくるしていない電話コードのような。艶のある薄いイエローがなんとも食欲をそそる。ひとくち口に含んだら、あーらニンニクがわりときいているね。それからあとはなんやろう、きのこ? たぶんエリンギとか、マッシュルームとか、そんなんの味がすごいする。そこへ生まれたばかりの赤子の目玉をソテーして、ちっちゃな肝臓をきゅっと乗せ、小口切りにしたネギをぱらぱら散らしたら、ほーらおいしいパスタのできあがり。
2009-11-30
こんな夜に発車できないなんて
店で飲んでいる。たくさん飲んだのであなたはトイレへ行きたくなる。「ちょっと失礼」あなたはテーブルを中座する。トイレの場所を店員に聞くなり自力で探すなりして、あなたは用を済ませる。そして手を洗う際になんとはなしに鏡を見ると、見たことのない人間が映っている。朦朧とした頭では、鏡に映った自分を自分自身として認識することができないのだ。知らない人間として自分を見るその目は、驚きのあまり、たいてい見開かれている。だからというわけではないが、最近は自分の中と外をわけて考えるようになった。からだは入れものでしかない。この「ものを考えるわたし」は、からだとは別のところにいる。わたしはこのからだをちょっとの間だけ借りているだけ。お望みならもっと伸ばすことも、途中で短くすることもできると契約時に言われたので、とりあえず88年リースにした。なぜかというとキャンペーンをやっていたから。末広がりで縁起がいいのだそうだ。めんどくさかったのでもうそれでいいやと思ってそれにした。キャンペーンのおまけにと、なんかへんなぬいぐるみをもらった。
2009-11-25
鳩、それはFUN
昔々ロンドンに住んでいたときのことだけども、たしかに晴れていたある秋の日、家を出てバス停までの道を歩いていたら、頭の上にやわらかくて水っぽいものがボッタ、と落ちてきたような感触がなんだかした。上を向いたらずいぶんと高いところ、しかしちょうどわたしの頭から物差しで線を引っぱったようにどんぴしゃなところにレールみたいなのがあり、そこで何羽かの鳩がひまそうにしている。
わたしは信じがたい気持ちでぱんぱかぱんになり、落ちてきたのがあれなのかどうか確かめたいのだけれど、そんなんもう100oパーあれに決まってるし! 手でさわるの嫌! でもティッシュもない! もうもうもうもうどうしよう、みたいなことになって、そんで普段は絶対そういうことできないはずなのにピンチのときは人間あれですね、得体の知れぬ図太さを発揮するもので、そばを通りかかった男の人にティッシュは持っているか、もし持っているなら一枚もらえませんか! とすがりついた。
わたしの切羽詰まった形相と「鳩が……」という声に一瞬で事情を察したらしい男は、わたしの頭をのぞきこむなり「ぎゃっ」とその目をみるみる見ひらいて、「とてもじゃないけど君の頭の上に何があるか僕には言えない。ティッシュもないや。ごめんね」と言い、またたく間に去ってしまった。わたしは待ち合わせがあったので泣く泣くそのままの頭で、やって来たバスに揺られ、その後会った友人に訳を話し、おそるおそる頭部をつきだしたら、「へ? なにも乗ってないよ」やってさ! うそう! ほらほら! といくら髪をかき分けてみせても「ない」と言われ、あげくの果てにはしつこいとキレられる始末。なんだったのだろう、あれは、と今でもたまに思う。
わたしの切羽詰まった形相と「鳩が……」という声に一瞬で事情を察したらしい男は、わたしの頭をのぞきこむなり「ぎゃっ」とその目をみるみる見ひらいて、「とてもじゃないけど君の頭の上に何があるか僕には言えない。ティッシュもないや。ごめんね」と言い、またたく間に去ってしまった。わたしは待ち合わせがあったので泣く泣くそのままの頭で、やって来たバスに揺られ、その後会った友人に訳を話し、おそるおそる頭部をつきだしたら、「へ? なにも乗ってないよ」やってさ! うそう! ほらほら! といくら髪をかき分けてみせても「ない」と言われ、あげくの果てにはしつこいとキレられる始末。なんだったのだろう、あれは、と今でもたまに思う。
2009-11-22
サリンジャーはすごいね
あの子はやるなあ、ひさしぶりに会うことのできた彼氏に「ずっと会いたかったわ」と言うのだけど、ほんまはまったくそんなこと思ってないということに自分ですぐ気がついて、罪悪感から彼の手をぎゅうっと握るのだから。握られたほうは、かわいい彼女の言動にそのような複雑な心理が隠されているとはよもや思うまいよ! というのはかの有名なフラニーとレーンのこと。きゅっと寒くなってコートを羽織る季節がやってくると、「フラニー&ゾーイー」の、男たちが駅のホームで寒さに耐えながらそれぞれの恋人を乗せた列車が到着するのを待っているあのシーンが読みたくなる。読みたくなるけどそこしか読まないので、ぜんぜんストーリーが進まないのだよ。画像と文章がぜんぜん合っていないのはたまたまだよ。
2009-11-21
タージ・マハルの思い出
かの麗しきタージ・マハルは、おそらくたいへんな愛妻家であったインドの王様が、若くして亡くなった奥方を偲んで大理石で造らせたという巨大な巨大なお墓なのであるが、それはインド北部のアーグラという場所にあって、そのアーグラはタージ・マハルなかったらぜったいにこんよな、と言いきれるくらい陰気で地味な雰囲気の町なのだった。夜にデリーから到着し、地球の歩き方に載っていた安宿に1階の部屋を案内された友人とわたしは、宿の食堂でご飯を食べたあと、それまで体験したことのないような激しい眠気に襲われる。なんこれ。ねむい。なんこれ。なんかご飯に変なの入れられたんかも……。部屋の一面は大きな窓になっていて中庭に面しており、念のため調べてみると鍵なんかこわれてぐらぐらなのだった。わたしたちはみの虫のように震え上がった。う……うちら今晩おそわれる! すでに時刻は深夜をまわっており、いまさら別の宿に移動することはできない。というか眠たすぎて動けないのだ。全身にドロリとまといつく倦怠感。からだが鉛のように重い。ベッドの脇の電話がなった。友人がよろよろと受話器に手を伸ばす。無言電話。さらに入口のドアの下に、まるですぐそこに誰かが立っているような二本足の影らしきものがあるのを見つけてしまう。そこで、ちびるほどに身の危険を感じたわたしたちが取った行動とは? 寝た。寝てしまった。あの時、わたしはすべてをあきらめたのだった。ほんとうに、眠いと、なんもできへんねんな……とくやしく思いながら意識を失っていったのを覚えている。そして翌朝無事、何事もなく目を覚ましたのでした。めでたしめでたし! こわかったなあ、あれはなんやったんやろうか、と言いながら朝ご飯をもぐもぐ食べ、蠅にたかられながらもしっかりとタージ・マハルを満喫。ほんとうに美しいですよ。ちなみにアメリカにはタジ・マハールという名のミュージシャンもいるらしいです。
2009-11-16
あのひとにあれをあれしてもらいたい
横殴りのインスピレーションが脳みそをごんごん叩いておます。写真は、中学も写真部やったしそれ以降ずっと撮るのも見るのもすごい好き。カメラ自体のフォルムというか機能なのか重さなのかわからんけどなんかも好きで、実際トイも高きも交えていくつか購入・コレクションしてもいるのだが、悲しいかな自分にはなにかのきらめかしい一瞬をヴィジュアルで素晴らしくちょっきん切り取る才能がまったくないというのは胸を張って言えるのであって、あるときパッキリと気づいたことだ、こればかりはどうしようもないわ。だけどかだからかわからないけど好きな写真を見たら「これはいい写真だわ!」とためらいなく声に出して言ってしまう。てばなしで誉めてしまう。ほんまに憧れやのです。
2009-11-13
tttttttvvvvvv
テレビも見ないしネットのニュースもあまりチェックしないので、雨が降るかどうかさえポツリと来てからようやく知る始末。ああ、きょうも洗濯もの干したまま来てしまった。ジャケットもブーツも、雨の日にはあまりよろしくないものを着てきてしまった。というようなことが多々あるがため、たまにはテレビも見たほうがいいのやろう! と一念発起し、こないだ月曜から金曜まで毎日最低一個の番組は見ることに決めて、番組をリストアップし、きいろいポストイットに書いてデスクのめだつところに張りつけていたのですが、そのリストの中身というのが、月曜日:やりすぎコージー/火曜日:人志松本の○○な話/水曜日:わすれた/木曜日:アメトーーク/金曜日:わすれた、とこんな感じでひじょうにかたよっていたうえ、一ヶ月も続かなかったんよな。わたしのテレビに対する熱意をくみとったかのように、そのポストイットもやがて粘着力を失ってどこかへ消えてゆきました。
鼻の穴はどこでもドアァー
2009-11-12
右向け左
わたしはほとんど本も読んできていないし映画もそれほど見ていないし音楽なんか特にものすごく疎くって、カラオケなどに行ったりすると周囲に目をひんむかれるほどに無知なのでして、というのは人生のあるとき(それもそれほど遠くない昔)まで、いかに外からの情報を入れずに生きて行くかということについて、かなりはっきりとした意思を持ってとりくんでいたのでした。ほかからの影響を避けていくことで、外からの情報をシャットアウトすることで、自分のなかにあるなんかを守らなあかんと、今思うとよくわからぬ努力を、当時は必死にしていたのやった。しかしまあ、過去の有名無名の天才たちが、いかにアヴァンギャルドであったことよ! なにをしても「まったくまったく新しいね!」という評価を得るのがとてもむずかしい今、やはり過去から学ぶことはとても大事よね。自分が「これは新しいぜ!」と思って鼻息荒くしていても、そんなことはとっくの昔にだれかが実践ずみやったりするのである。だから勉強は大事ですねって、そーんな話。
2009-11-08
そろそろ米が炊ける
「かいじゅうたちのいるところ」のサントラばかり聴いている秋のヨルグレ。来たる11月11日はポッキー&プリッツの日、のみならずチーズの日でもあるそな。ユンソナ。チーズ屋さんの情報なのでまちがいない。原宿VACANTでやっているzine's mateをのぞいていろんなひとの作ったzineを見る。商業雑誌が軒並み廃刊/休刊になっていくなか、これらzineたちのなんと元気なことよ! 好きだからやっている、というのはなにものにも代えがたい強みなのや。というか、やらずにはおれないねんよな、ちょっとでかい例えになるが、松ちゃんが「しんぼる」を作ったみたいにさ。そして、フリー(0円)でやることと有料でやること、それぞれの意味を考える。ごま豆腐、だしまき卵、もやしのナムル。字余り。
2009-10-29
くばりはじめました
2009-10-19
すなわちサンゲンヤジャも可
愛しいひとの呼びかた、あるいは単に黒くって
2009-09-29
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